中国・長江三峡下りツアー

全日空ハローツアー。2000年10月21日から26日まで。

日誌

10月20日
出発前日。仕事を終え(たことにして),上野から京成イブニングライナーで,成田へ。土砂降りの中,京成成田駅からタクシーで,ワシントンホテルへ。
10月21日
起床。成田空港内に8時集合。チケットをもらい,チェックインをして,空港内をちょっとぷらぷら。
香港で,乗り継ぎの合間に,バスでぐるっと一回り。途中で,各種の仏様系だとか神様系だとかの像が並んでいる怪しげな公園で一休み。
重慶国際空港に着いたのは,もう深夜。(香港って,中華人民共和国の一部になったはずなのに,一国二制度が徹底していて,まず香港に入国。香港を出国(出国手続きをしてスタンプも押される)。で中国に入国する。)夜中の12時すぎに今回川下りで乗る錦繍中華号に乗船。
10月22日
朝起きると,もう船は走っていた。長江って,意外と流れが速い。それとも,船が速いのか?
見えてきたのが張飛廟。ここも,三峡ダムが完成してしまうと,湖の底。となるはずだったが,さすがに,上の方に移転するそうである。
昼過ぎに,白帝城へ。
夜は,船長さん主催のウェルカム・パーティー。ずいぶん若い船長さんだ。でも,飾り物ではない証拠に,後日,ちゃんと操舵室で仕事をしている姿がかいま見られた。
10月23日
白帝城の先から,いよいよ三峡。まずは,”く塘峡”。ここは,川幅が狭く,両岸から山が迫っている感じ。事故防止のため,川の交通は時間で区切られ一方通行になっている。現在どっち行きが通れるかは,信号所の,屋根の上の矢印で分かる。く塘峡は長くなく,20分程度で通り過ぎてしまう。
朝食後,巫峡の手前で左岸から長江に合流してくる大寧河にある小三峡(英語だとLesser Three Gorges)を見物する。
次が”巫峡
見物の合間には,各種のイベントも用意されている。巫峡と西陵峡の合間には,指(の爪)で書を書く人が登場。何でも,NHKのBS放送でも紹介されたことがあるとか。爪に墨を付け筆で書いたような字を書く。しかも,注文主の名前や仕事・趣味などを織り込み韻を踏んだ詩をその場で創り,せいぜい5分程度で書いてしまう。
三峡の最後”西陵峡”。
夜に,三峡ダムの工事現場を通過。
その後,宜昌の町で乗船してきた踊り子さんたちの民族舞踊
さらに下って,葛州はダム。で,この夜はこのダムを抜けたところで停泊。
10月24日
朝,バスで三峡ダム建設現場までさかのぼる。観光客向けの案内がある。あいにくの雨で,見晴らしは悪かったが,雨の中,視界の先まで続く建設現場は,ダムの大きさを感じさせてくれて,それはそれで趣があった。
ずうっと下って,荊州の城へ。ここも三国志ゆかりの地で,蜀の関羽が守っていて,呉に奪われ近くで捉えられ殺されたところ。中国の城は,都市全体を囲い,中は整然とした街並み。城門の中には,三国志の像も。
その荊州城のそばに,大昔のお墓の遺跡の博物館。墓の中から,なんと,生ミイラなるものが発見されている。普通のミイラは乾燥しているが,これは液体に漬けられていた。肉なんか赤くって,恐ろしく生々しい。死んだばっかりにしか見えない。ただ,密封されていた棺桶から出したせいで,あと数年しか持たないらしい。一緒にお墓に入っていた物も展示してあった。
で,夜は,添乗員さんも活躍してじゃんけん大会もやって,船では最後のお別れパーティー
10月25日
船での最終日は,赤壁。で,ついに武漢
10月26日
最終日。